旧06月23日 「ノラや」
内田百閒先生のひととなりを詳しく知ったのはこの本だった。

週刊文春の読書コラムで触れられていたのをきっかけに、一時期のめり込んでしまった。

元来ねこ好きの自分としては当然の帰結だけれど、涙の止まない読了感だったような記憶がある。ちなみにそれを契機として後、百閒先生のペンによる文章はほとんど眼を通している。


ついでだけれど、その影響は大きく、ある時期自分で表現するほとんどの文章表記が旧仮名遣いになったのは云うまでもない。それも使用する字体も含めて。

だから、いまだにその名残かどうか、時々、古風な方以外には理解に苦労する漢字遣いをすることがあって多大な迷惑をかけることしばしば、だったりする。

でも、そんなのは、実社会においてはただの馬鹿であり、ある意味で異端だったりする扱いを受けるので、いつのまにか時世にそった表現をするように、なった(そんな一貫性のなさが弱みだったりして)。

ところで、かつて勤めていたいた職場では、文章を作る際の表現に厳密な規定があり、正規の文書はもちろん、内々で使う文書の文章でもそれは徹底されていて、とっても難儀した。

理由は簡単。公になってしまうと国内だけでなく、関係する諸外国にまで影響してしまうから。

しかも、よくありがちな“隠語”とか“暗号”(業界用語ってやつ)も不可。そんなのは、解るひとには解ってしまうし。

だから、表現をあいまい、もしくは意味不鮮明にして、しかも規定に則って文章化する。これって、書くほうも読むほうも、どうとでも解釈できるので都合が良いのだけれど、正直に白状すると嘘ついてるみたいで後ろめたいところもあった。

いま思えば、そんなインチキなことを、頭の具合がよろしくない自分がよくやっていたんだなぁ、と、しみじみ思う。当然苦労したけど。


で、百閒先生の「ノラや」なんだけど、謹厳実直で生真面目な学校の先生(陸軍士官学校の教官だった)という印象の強かった百鬼園先生(内田百閒の別名みたいなの)が、ただのおちゃめな“じーさん”だったのがその文章から微笑ましく見て取れるのがとっても面白い。

ひさしぶりにページをめくりつつ、ほんわかとした癒し系和みの雰囲気を堪能させてもらった一日だった。


そんな面持ちの中、ねこの交尾を眺めるのもまた一興だね。

夏だなぁ……。
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by moon1307 | 2005-07-28 20:01 | 雑感
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